萬翠荘(ばんすいそう)その1 [お出掛け編]
丸く剪定されたサツキを見ると触りたくなります。
前記事「漱石珈琲店 愛松亭」
https://nonohana223.blog.so-net.ne.jp/2018-07-03
6月21日(前記事から続きです。)
えひめアマチュア陶芸作品展が萬翠荘(1階)でありました。
夫くんは、出品してません。したがって、作品展の画像はありません。((´∀`))ケラケラ
2階は、有料(300円)
チケット購入時に、萬翠荘来館お客様特典(愛松亭利用の割引券)を貰いました。
萬翠荘(ばんすいそう)
萬(よろず)翠(みどり)荘(やかた)
松山城の麓の森の中に佇む邸宅という意味です。
大正11年(1922年)
旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨伯爵が別邸として建設。
詳しくは、http://www.bansuisou.org/about/
地下1階、地上3階、愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造りです。
パンフレットから抜粋。
sakamamaのコンデジでは、全景が入らない。。(-_-;)
館内に模型がありました。(ガラスのケースに入ってます。)
ネオルネッサンスと呼ばれる格調高い様式!
西洋建築の多くは左右対称ですが、
萬翠荘は日本人のアンバランスの美意識、左右非対称で構成されてます。
久松伯爵は、フランス生活が長く、彼の好みが反映されています。
パンフレットから抜粋。
邸の左側面の様子 邸の右側の様子
2階に上がる階段の踊り場に窓一面のステンドグラス。
至る所にステンドグラスがはめ込んであります。
ステンドグラスを見ると、胸がトキメキます。(笑
(3年間、ステンドグラスを習っていました。20年くらい前に)
ほんの一部です。部屋の内側は、外枠がホワイトで。廊下側は、ブラウンでした。
萬翠荘は、今日に至るまで、様々な遍歴をたどってきました。
純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、
皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られました。
戦後、米軍将校宿舎、家庭裁判所、県立郷土芸術館、県立美術館分館になる。
現在は、新たな文化、観光施設としてよみがえりました。
昭和天皇が皇太子時代に宿泊されています。
ここ(広いバルコニー)から、お手を振られたそうです。
広いバルコニーには出れなくて、カーテンの隙間からパチリ!
ここで朝食を召し上がれたそうです。 広いバルコニーの横のバルコニー
紅い絨毯の廊下の突き当りの窓からの景色に。。
わぁ~~ 思わず、声が。。
薄暗い廊下の先に鮮やかな緑が目に飛び込んできます。その窓から見える庭。
画像では、上手く伝わりませんが想像してみてくださいね。(⌒∇⌒)
萬翠荘の翠(みどり)
森の中に佇む邸宅の意味が分かった様なような気がしました。
魅力はまだまだあります。 続く。
追記(独り言)
記事作成時、プレビュー画面を消すと記事の編集画面に戻りますよね?
それが、スタート画面に戻ってしまいました。(作成した記事が消える)
間違ってキーを押して画面が管理トップにかえっても、
作成中の記事があります。ってメッセージが出てくる事もありますよね。
(出てこなかった。。)(-_-;)
1回目は、私が操作を間違ったかな?って思いましたが。。
2回目は、あちゃ~ また、やってしもうたぁ~
3~4回目は、やはり、消えてしまう。それでも、めげずに頑張る。
5回目は、我慢の限界! やる気が失せて。。丸一日、記事作成をやめる。
と、言うことでこの記事作成には3日掛かりました~ はぁ~
これって、どういう事? 私のやり方が悪いの?
それとも、PCが悪い? ソネブロの不具合?
それが、不思議なもので。。萬翠荘(その2)の記事は、問題なく出来た。
今は、正常になっています。 なんだったでしょうね。